明治2(1869)年北目町に誕生した芝居小屋「常劇場所-松浦座」は、明治12(1879)年に身売りされ、宮城長兵衛により宮城座と改称される。(昭和55年7月12日河北新報より)
長兵衛長男の金助は警察官を勤める。仙台商工会議所昭和5(1930)年発刊の仙台商工案内書には、名掛丁にて和食店「宮長」を金助が、元寺小路にて洋食店「ロンドン」を、金助長男の竹三郎の妻まさが経営とある。
旧・国鉄勤務の宮城竹三郎は退職後、元寺小路169番地(現パレス平安・隣)にて竹屋旅館を開業した。その後長男・宗男が竹屋別館を開業したのは、太平洋戦争の開戦前後の昭和16年頃である。
竹屋旅館・竹屋別館は、昭和20(1945)年7月10日の仙台空襲でいずれも焼失したが、戦後間もない時期に竹三郎は竹屋ホテルとして復興し、宗男は昭和24(1949)年10月12日(株)宮城ホテルを設立し、現在の仙台ロフト(旧:ams西武仙台店)の南側の地で宮城ホテル本館を開業する。
戦後の荒波にもまれた時代の中で、宗男は宮城ホテル本館・新館を軸にした旅館業の時代から、映画館有楽座へと事業の多角化を進める一方で、竹三郎は、昭和35(1960)年に仙台で中断していた大相撲の歓進元をつとめ、その再開をはたし、やがて谷風会へ継承される。
その前年に竹三郎は紺綬褒賞を贈られる。また宗男は、映画館時代に、「ともしびの会」として施設の子供達を映画に無料招待するなど、社会活動を行っており、それにより昭和32(1957)年宮城県知事より感謝状を贈られる。
昭和40(1965)年12月に有楽座の跡地で、アイススケートとボウリングのスポーツセンター有楽会館を開業する一方で、同年宮城不動産株式会社を設立。翌年貸ビル業宮城ビルディングは、七十七銀行仙台駅前支店、アイエ書店仙台駅前店などをテナントに迎え開業。同時に(有)宮城観光産業を設立して、ビル内レストラン・喫茶店を出店経営。
昭和47(1972)年、区域内にある宮城ホテル新館、本館は隣接の地権者とともに、仙台駅前の顔づくりともいえる仙台市中央一丁目10番地区市街地再開発の話し合いに参加。
昭和53(1978)年再開発組合設立を経て、昭和57(1982)年ams西武仙台店をキーテナントに迎え、仙台駅前開発ビルを開業。同時に(有)宮城観光産業がビル内にレストランや小売店舗の出店営業を行う。
昭和53(1978)年、ボウリングブームの衰退から、閉館していた有楽会館を売却するという大きな教訓を得る。
平成5(1993)年、本町パークとして立体駐車場を建設開業。平成7(1995)年、宮城ビルディング1階に貸画廊ギャラリー五番街を開設。新しい模索が始まる。
平成11(1999)年7月3日新しいCIをもとに、(株)宮城ホテルを株式会社ヒューモスに、宮城不動産(株)を株式会社ヒューモスファイヴに社名変更し、同年10月創立50周年を迎える。
一方で、昭和62(1987)年に開設した不動産仲介会社(有)住まいの情報館は、平成13(2001)年に撤退の上、法人を解散し、昭和の初め(1930年)より形態を変更しながら続いていたレストラン部門も、平成14(2002)年に閉鎖撤退する。
昭和53(1978)年に売却した旧有楽会館の跡地を平成13(2001)年8月再取得し、ヒューモスパーク1番町として同年開業。
平成14(2002)年春に制定した新しいビジネスモデルに沿って、同年7月1日に2社を合併。平成15(2003)年4月1日地下鉄南北線泉中央駅ビル(2階〜6階)を取得。
貸ビル駐車場業をコアビジネスとした新生株式会社ヒューモスが新たな歩みを始める。
平成18(2006)年12月、ヒューモスパーク国分町を、旧建物を取得解体して開業、平成19(2007)年11月ヒューモスパーク国分町とヒューモスパーク1番町近くの郵政日の出ビルを取得する。
平成21(2009)年10月12日、株式会社ヒューモスは、創立60周年を迎える。

平成21年 市中心部事業所 地図